ラーガ日記:情景を思い描く
ラーガの練習を始めて、早くも2年目に入った。
誰に見られるでもないこの場所で、ひっそりと、日々の練習での気づきや、レッスンでのことなどを記していこうと思う。
今日の気づき
「それぞれのラーガの情景を頭に想い描く。
出来得る限りの想像力を働かせることがラーガの理解に繋がる。」
今日はBhimpalasiの個人練習をした。
TanaやAlapを少し歌ったところで、とふと思った。
教わったメロディをなぞるという練習だけで、Bhimpalasiによって描かれる情景を、日本人の私がどこまで理解できるだろうか。インドには2週間しか居たことが無い。それも、知っているのはVaranasiだけ。
これは本当によく思う。
どういう背景でこのラーガが生まれたのか。このメロディは、どのような世界をなぞっているのだろうか。未知のものを描くことは難しい。何度も歌うことで、いつの間にか理解しているのかもしれない。テリーさんも、そう言っていた気がする。
ラーガがその世界を見せてくれる、と。
そうは言っても、インド人と私とでは土壌が違う。その土地の空気や食べ物や、気候、文化、思想や哲学が必ず音の影に含まれているはずなのだ。
歌う時間も大切だが、聴く時間も私にとっては歌う時間と同じくらいに大切だと思う。(他のシンガーもそうかもしれないけれど、私は特にそう思う。)
そこで、今日の練習時間の半分を使ってAshwini Bhide-Deshpandeと、大師匠Pandit Pran NathによるBhimpalasiをじっくりと聴くことにした。
あくまで個人の感覚だが、このラーガを聞いて浮かぶ情景は、天界だった。
虹色の雲
雲の上を飛び回る神々
どことなく、私が暮らす物質世界とは全然違う、異世界のような感じがする。
確かBhimpalasiは、ラーガの中でも古いものだと教わった。バガヴァットギーターが元になっているラーガだと、メモに書いてある。
ラーガを音で奏でることで、その特定の情景が、その空間に顕在化(manifesting)する。
テリーさんは、そう言っていた。
ラーガを深く研究している人からすれば見当違いな感想なのかもしれないし、歌っていくうちにまた違う理解をするかもしれない。
夕食後は、Darbariのレッスンをして頂いた。
Darbariの中でも、初めての曲だった。とてもレアな曲だそうだ。この曲を歌っているシンガーを見つけたら、教えて欲しい、とテリーさんは言っていた。テリーさんも、Pranath大師匠しか歌っているのを聞いたことがないそう。
驕りと言われてしまうかもしれないが、やはり、超暇人の私がこのコロナ期間中にほぼ毎日顔を合わせられるという立場にいることは、宇宙ないしは大師匠のお導きだと思わざるを得ない。
自分の環境の有難さに、心から感謝。
Ram Ram
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