ラーガ日記②:私がラーガに成る

今日はテリーさんと外出。

車に乗ると、必ずラーガの練習になる。

今日は、Gujari Todiの練習だった。


最初なかなか音程が掴めず、何度も同じフレーズのやり直し。

Gujari Todiには、このラーガでしか使われない特有の音程がある。

それがラーガの面白いところ。

例えば同じnの音でも、ラーガによって他のラーガで歌う音程よりも微妙に低かったり高かったりする。ラーガがマルチトーンミュージックと言われる所以であり、面白いところだ。

ラーガを表す音、個性で、それは文字では決して伝えることができない。


そして、その音程を掴むためには

そのラーガに成らないと("You have to be Gujuri Todi")

と、テリーさん。


私自身がそのラーガと成り、その結果、私からそのラーガが空間に発せられる。


Pran Nath大師匠は、その時のムードに沿った演目しか歌わなかったと何度か聞いたことがある。普通ラーガシンガーは、一度或るラーガを歌い始めたら最後まで歌うのが普通なのだけれど、Pran Nath大師匠は途中で別のラーガに変えたこともある、と言っていた。


やはり、一つ一つのラーガそのものを掴まなければ、そのラーガを歌ったことには成らないのだ。


今日は、ラーガの本質の一面を教えていただいたのだと思う。