ラーガ日記④:夜のラーガ

今日はDarbariの個人練習。

Pran Nath大師匠が眠れなかった時、良くこのラーガを歌ってくれとテリーさんに頼んだそう。

今日は、Darbariを深く感じてみた。


浮かんできたのは、最高に座りごごちの良いソファとクッションの上にいる感覚と、夢に足を一歩踏み入れかけている時の、時間も物も、全てが急に曖昧になる、あの感覚だった。

眠いのではなく、そこに全てあるのに、お互いに溶け合っていく様な感じ。

旋律にどことなく切なさが含まれているのは、月の要素もあるかもしれないけれど、もしかしたら、夢をみる時は誰もが独りになるからかも知れないと思った。

全ての境界線が取れて曖昧になる時とは、確かだと思っていたものが実は曖昧だったと知る時。掴んでいたものを離す時。自分がいなくなる時。

Darbariはその情景を描くラーガなのかもしれない、と思った。